書道家と書家の違いは何?|肩書きよりも大事なこと

こんにちは、書家の根本みきです。
…と自己紹介をすると、「書家と書道家の違いは何ですか?」とよく聞かれます。
私は肩書きに重きを置いていないので毎回「そんなに変わらないです」と言ってきましたが、あまりにも頻繁に聞かれる為、記事にしてみます。
とは言え、すでに二つの違いを述べている記事は複数存在しているので、ここではあえてどちらの肩書きも借りて活動をしている私が思うことを書きます。
(あくまでこの記事は私個人の見解なので、名称の違いを詳しく知りたい方は別の記事をオススメします)
結論、
書道家・書家の肩書き自体に違いがあると言うより
「その人が書道で何をしていて、どういう人なのか」というその「人」にこそ、違いや価値があると思っています
一応超手短に、一般的に言われている肩書きの違いを述べておきます(Wiki等ネット記事参照)
書家…書における高度な技術と教養を持った専門家のこと、古典作品に根ざした書を用い書壇や書流に属す人
書道家…書の道に属す人。書道パフォーマンスをするなど、書家よりも活動の幅は広い。(自由度が高い)
とのこと。
ここで思うのですが… えっ、線引きどこ??ってか、誰が決めたん?です。(笑)
書家だから道に属していない訳でもなければ書道パフォーマンスをしないわけでもないし、書道家だから古典書道を勉強しない訳でもありません!
どことなく、富士山は山梨県か静岡県か!の終わりなき論争に似ていると思います。(笑)
要は書道家・書家、それぞれの中身に大きな違いがあるのではなく、ただの名称の違いに過ぎないと感じます。
活動内容に明確な線引きはありません。
私が両方の肩書きを使っている理由は、「自分が何をしている者なのかを人に分かりやすく伝える為」です。
実際、書家よりも書道家の方がピンとくる方が多いようです。確かに「書」と言うより「書道」と言った方が伝わりやすいですよね。
それに、ピンとこない人が目の前にいたとして、「私の肩書きは、書道家じゃなくて書家なんだ!」と言い切るほど重要視していません。笑
肩書きについては書道家ないし書家に限った話ではなく、その人が何をしているのか人に分かりやすく説明するための社会的な地位や称号・単語に過ぎず、肩書きそのもの自体に価値はあまりないと思っています。
これはお金と一緒で「使わないとただの紙切れ」と言われるように、ただ自分の名前の前に置いただけでは、ただの単語に過ぎないと感じます。
肩書きがその人を価値づけるのではなく、
その人が肩書きを借りながら、その人自身に価値を付けていくものだと思います。
私は書家という肩書きを借りて活動していますが、正直いつか取りたいです。肩書きを。
理由は、”時に足枷となるから”です。でも今は肩書きの力を借りないとお仕事にはなりづらいので借りています。
私は水墨画も好きで描いているし、YouTubeが好きでカメラや動画撮影、編集にもこだわっていたり、旅や珈琲が好きだったり…
とにかく多趣味です。興味を持ったことにはすぐ食いつきます。
私は比較的縛られず自由に活動している方ですが、肩書きを「書家」に限定してしまうと、やっぱりどこか「書家」らしくいようとしてしまいます。
「書家らしく」も抽象的で、人によってイメージが違う為あまり当てにはならないのですが…
あとは、YouTubeのコメントで
「書家として、いけないことをしていますね」と言われたこともあります。
私からすると…
「書家として」って……なんなんじゃぼけーーい!!!
…です。(笑)
書家=”辞書に載ってる言葉通りのことだけをする人”だとすれば、私は確かに外れていると思います。
ただ、この日々目まぐるしく変化し続ける社会情勢や価値観の中で生きる現代、辞書を更新しないって危険だなと感じます。
そもそも辞書も肩書きも言葉も、“自分以外の誰かが作ったもの”ですよね?
誰かが作ったもの、決めたもの通りにしか生きられないって、凄〜く狭い世界じゃないですか?
確かに先人が作り上げてきたものが今も尚受け継がれてきていることは、敬うことですし感謝に絶えません。書道もその一つです。
ただ、先人が作り上げてきたことをただなぞるだけの人生では、その人の生まれ持った個性や感性・思考などの機能や力を120%発揮させることは生涯ないと思います。
ちょっと話がずれましたが、
書家であれ書道家であれ「その人がどういう人なのか?」「何をする人なのか?」が前で、肩書きは後ろ、借り物だと私は考えています。
単に「書道家」と言っても、今は働き方や世間のニーズが多様化しているので、様々な個性や強みを持った書家さん書道家さんが存在しています。
私と同じように書道を仕事にして活動する人もいれば、仕事には結び付けずに活動する方も大勢います。
働き方が多様化していく今、新しい肩書きが生まれることはもう普通です。
それに今後は一つの職業だけに属しているのは危ういと言われていて、副業を勧める会社も少なくないですよね。
従来の肩書きの概念に囚われて、本当にやりたいことをやらずにいるのは凄くもったいないことだと思います。
人は不思議なことに、100人いれば100通りの個性、特技、趣味嗜好があります。
だから既に、その人自身の価値は作らずして持って生まれてきています。
もっと言えば、幼少期や学生時代にいた環境の中で、生まれ持った個性は勝手に強く形成されてきているはずです。
個性が強い人、強くない人は存在するとは思うけれど、個性がない人は存在しないと思います。
お腹が空く、息をする、眠くなる…など、生きていく上での機能は人間みんな同じなのに、顔、性格、みんな違いますよね…?
だから「自分にしかできないことなんてない」と決めつけずに、
自分の内面と向き合い、自分が既に持っている個性を温めることで自ずとその人らしいカラーは出てくると思います。
そこには、肩書きという狭き枠を超えた無限の価値や可能性が秘められていると、私も信じ活動しています。
この記事を最後まで読んでいただいた方々が、一つでもご自身の価値に気がつけるきっかけとなれれば嬉しいです。
最後までご覧いただき、ありがとうございました!
私の活動は主にこのホームページとYouTubeに力を入れているので、ぜひご覧いただけたら嬉しく思います!
◆◇おまけ◆◇
私が主に「書道家」ではなく「書家」を使用している理由は…「ただなんとなく」です(笑)
しいて言うなら、さっぱりとした響きだから?
場合によっては「書道家です」と言うこともあります。実際、そのくらいです。
ではでは、また次回の記事もお楽しみに!